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剣術と禅の教え 剣禅一致の極意歌「子も踏まず枕も踏まずほとどきす」

 

沢庵禅師の禅問答。「禅宗ではこれがわかれば悟りであり、武家では極意」という極意歌が興味深いです。徳川将軍家兵法指南役の柳生宗矩(柳生新陰流兵法)さんに問いかける沢庵和尚。

 

 

そのうえ沢庵は宗矩に、
子も踏まず枕も踏まずほとどきす
という句をみせて、この句をどう解くかと質問するのです。


(中略)


すると沢庵は「ほとどきすが一声鳴いた。ふっと目を覚ました。ガバッと床から起き上がり、枕も子供も踏みつけずに出てきた。これは一体誰が起きて、誰が出てきたのか」とたたみかけます。

 

 もっと孤独にもっと自由に 沢庵

 


「誰が起きて、誰が出た」という謎かけ。鳥の鳴き声で目を覚ます。何も踏まないで部屋を出る。音に反応しての行動。意識せずに行えた動作。「これは本当に自分なのか」という意味の質問でしょうか。

 
無意識な反応には、誰の心もない。

意図なく目的なく、理や利も求めてない。

 

兵法と禅の教え。剣術と心の在り方。剣禅一致の極意歌。沢庵宗彭さんのご著書「不動智神妙録」には、他にも「心こそ心迷わす心なり、心に心、心許すな」がありますね。

 

心こそが心を惑わせている元凶。執着の心を植え付けるのもまた自分の心。自分の心を過信するな。心に振り回されるな。

 

斬ろうと思うと、斬ることに心が囚われる。

斬られまいと思うと、斬られることに気持ちが捕まる。

気負いで力み、恐怖で身がすくむ。

心が心を縛り、行動の自由を失う。

 

想定すればするほど、想定外なことにビックリしますもんね。思いが思いを増幅させる。闇夜の散歩、誰もいないはずと思っていると、余計に気になる気配や物音。居るとも居ないとも思っていなければ、気にならない。

 

「ふっと目を覚ます」

「ガバッと起き上がる」

 

想定しない。考えない。無心無我。座禅が「何もしないトレーニング」というのも、心を空っぽにする練習なのかもしれないですね。意識しすぎてると過剰反応、心も体も疲れてしまうのだと感じました。

 

 

 

もっと孤独にもっと自由に 沢庵 (こんな生き方) 

鎌田茂雄