1. 父に「しっかり締めて」とお願いする
2. 文句は言わずに自分で締める3. 逆に、引き戸を全開にして部屋から立ち去る
「1」の方法はもう諦めました。言われると、しぶしぶドアを締めてくれますが、その時だけ。そもそもめんどくさいようで、家族が「寒い」と言っても、おかまいなしみたいです。何度も同じことの繰り返し。たまに、正しいことを言われると、わかってるだけに不機嫌になって怒ることもありますね。言われたくないからの逆ギレ状態。
「2」が最もベターでしょうか。誰かに正論を言われても、長年のクセは変わらない。人の性格、行動は変えられない。それに、毎回、同じことを注意するのもされるのも、お互いにストレス。
なので、そういう人なのだと諦めて、不都合を感じる私達が無言で締めるのが最善ですよね。ただ、不快は不快、不満は不満、理不尽な印象は否めなくて、気持ちはスッキリしません(^^;
「3」を何度か試したことがあります。何だかちょっと悔しくて。無言で、換気レベルに引き戸を全開、あけたまま部屋を出る最終手段。さすがにフルオープンは気になるみたいで、すぐにしっかり締めてますね。
暖気がもったいないので、父に「開けたままで寒くないの?」と聞いたら、「寒くない」と即答で返事。本当に寒くないのか、意地を張ってるだけなのか。「なら暖房を消してもいいよね?」と電源オフにして、ドアをフルオープンで退室。これはこれで心苦しい。やりすぎた感、なんとなく罪悪感があって、当てつけが過ぎるのは、自分自身の精神衛生によくないことに気づきました。
なので、私は「2」で我慢の一択。我慢してると思うと余計イライラするので、感情を抜くトレーニングのつもりで、自分の気持ちと向き合うことにしました。自分の都合は誰かの不都合。「自分が楽をすると、誰かが苦労をする」という気づき、反面教師に感謝、むりくりに(笑)
日々を不快に感じないで過ごせるのは、
周囲の人たちがきちんとしてくれてるから。
病気になって初めて、
健康のありがたみを感じるように、
健やかな日常はとてもありがたいこと。
私の何気ない行動も、誰かにとっての不快になってたりもしますもんね。きっと誰かに許してもらってる。人を許す心。みんなが心地よく過ごせるための譲り合い。面倒ごとがあっても「お互い様」なのだと思うと、少しずつですが、許せそうな気がします。理想は、ドアが開いてても誰も責めないで、無心でドアを淡々と締められる境地でしょうか。反応してるのは心。4つ目の選択肢は「イライラに反応しないこと」ですね。