干永年氏によれば、大成拳で培う「発力(ファーリィ)」という爆発的な集中力は、「第二随意筋」を自由に運用することによって発動される。
第二随意筋というのは、我々が運動する時、普通は休んでいる筋肉群のことである。例えば、脚を上げる運動をする時、大腿の前部の筋肉は緊張するが、後部の筋肉群はたるんでいる。
(中略)
だから、「全力」を出して打突や突き蹴りを行っているつもりの場合でも、腰脚や上体の半面以上は休息筋になっている。
立った姿勢を維持して動かないことが稽古になる“站椿功”や“立禅”は、こうした同時には動かない第二随意筋を随意にコントロールできるようになる練習らしいです。
ポイントは、「意念」と呼ばれる意識のトレーニング。そういえば、筋肉は実際に動かさなくても、動かしているイメージをするだけでトレーニングなるという話を聞いたことがあります。
物理的には同時に動かない筋肉を、頭の中でイメージ的に動かす。たとえば、片手でジャンケンの“グー”と“パー”を同時に作ることはできませんが、グーとパーのイメージをすると、指では何と無く両方同時に出しているような感覚になる。この状態は、「緊張と脱力の中間」に近い感じですね。
全力で手のひらを開いた状態から、ちょっとだけ力を抜く。完全に指が丸まらない程度に力を抜いた状態を維持していると手が温かくなってくる。これが「緊張と脱力の中間」の状態。人によっては「気が出ている」と説明する方も。それに、合気上げの“朝顔の花”も同様の感覚らしい。
これは、伸筋と屈筋がバランスよく同時に緊張している状態なのだと思われます。つまり、普段は協力することのない表と裏の筋肉…第一随意筋と第二随意筋の二つが働いて、人の二倍筋肉が働いてる。感覚的には相殺してプラスマイナスゼロになりそうな感じですが、筋肉の張りが充実した状態のようですね。
自動車のアクセルとブレーキを同時に踏んで静止した状態を作る。それはエンジンの掛かっていない車が停止した状態とは似て非なるもの。動かないのは同じでも、中身が違う。伸筋、屈筋、片方の筋肉だけ使わない。同時に使って停止を静止に変える。こうした身体イメージが「発力」と呼ばれる感覚を養う方法なのかもしれないですね。
作者: 時津賢児 (著)