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社会性(自他の協調)を拒むのは個性(自我の強調)?

 

議論のコツ、禅僧・道元禅師の言葉がとても興味深いです。「何を言うか」ではなくて「誰が言うか」。信用、信頼、尊敬。相手を思う心。聞く耳をもってもらえる関係性が大切なのだと感じました。

 

 

自分に理があり、相手がまちがっている場合も、議論で相手を打ち負かしていいことはひとつもない。逆恨みを買うだけだ。

 

だから相手をやりこめず、かといって自分がまちがっているというわけでもなく、むしろ適当にしておくほうがよい。

 

「もっと」を捨てればウソのように心が軽くなる 

 

 

正しさのぶつかり合いは、ケンカになるだけで何の解決にもならない。正解に固執しない会話の教え。こちらの意見が正しいからといって、相手に納得してもらえるとはかぎらないですもんね。

 

勝負事でないことであっても、素直に負けを認めたくないのが人間のサガ。正解を理解できても譲れない、道理に逆らう悩ましい性質。人工知能(A.I.)からしますと不合理な敵対でしょうか。

 

「否定された」というだけで条件反射、無意識な防衛反応。「考えを変えない」という態度で籠城。門を閉ざしてシャットアウト。論理ではなくて感情で応戦。論点のすり替え、屁理屈、誤謬、詭弁、逆ギレ、あの手この手で「否定」を拒絶したくなりますもんね。正論であればなおのこと、腹が立つのが困りもの(笑)

 

認められたい。存在を許して欲しい。自己承認の欲求はとても繊細。正しいかどうかではなくて、論理破綻していても、自分の立場が最優先になる心理。

 

解決策を見つけることが目的の会議、問題を解消するための議論であっても、否定のための否定で話が進まない。生物としての「個性(自我の強調)」が、人間としての「社会性(自他の協調)」にブレーキをかけてしまう。理屈よりも利益。本質的に「自分の話、自慢話をするのは楽しいけど、他人にされるのはつまらない」ってことですね。

 

 

 

「もっと」を捨てればウソのように心が軽くなる 

菅原圭

 

 

以前、反射的に逆のことを話す方とお会いして、ビックリしたことがあります。その方からお聞きした話を「~なのですね」とあいずち復唱するたび、「いや、それは違う」とすぐさま否定されて唖然。言った直後、ご自身の主張をご自分でダメだし。まさかの逆意見。しかも議論ではなくて日常会話、不思議なお方でした。最速すぎる朝令暮改、わたしの中でギネス記録。