何もしないために座る。「無」の時間。座禅で得られる「幸福感」のくだりがおもしろいです。
禅の修行者が行う座禅は、あるい意味、「何もしない」トレーニングと言ってもいいでしょう。
座禅をしている時だけは、修行者は仏教の本も読まず、仕事もせず、何もしないでただ座っています。
「何もしないことによって得られる幸福感がある」ということを実感するために行うのです。
禅の教えは、心の組み立て方。本能のままだと、「無」を嫌って「有」を好む心。煩悩のままだと、「無」を恐れて「有」を求める心。「有」は「憂」で憂いの原因。「有」に転びがちな妄心を、「無」にする意識でコントロールする禅心。
有から無へ
1から0へ
有に傾いたら、無へ戻す
1になったら、マイナス1
「無」とは、ずっと何にもない状態ではなくて、
「有」を相殺して、ゼロになった刹那の感覚。
「天秤ばかり」が、左右の重りでバランスがとれている瞬間。
左右にゆらゆら、
「やりすぎ」と「やらなすぎ」
「緊張しすぎ」と「緩みすぎ」
極端から極端へと揺れる心の天秤。
偏ったら真逆のことを考える。
やりすぎる人は「頑張るな」
やらなすぎる人は「もっと頑張れ」
良いさじ加減、方便の心構え。
やることたくさんあるときに、何もしないで座ってみる。
バランスとれてる心地よさ。ちょっと幸せ感じますね。
植西聰