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ケンカをしたら、二人とも死罪 / 喧嘩両成敗の誕生

 

喧嘩両成敗。争い事、もめ事を第三者が解決する手段。ケンカを仲裁する方法で、善悪・成否・経緯・理由を問わず、その両者を同等に罰するというもの。加害者はやり得、被害者にとっては理不尽なお裁きな印象。昔は、こういう裁判があったのですね。

 

 

喧嘩両成敗法が最初に明確に歴史に現れるのは、駿河国(静岡県中央部)の戦国大名今川氏親(桶狭間の戦いで敗死する今川義元の父)が大永六年(一五二六)に制定した分国法「今川かな目録」の第八条の以下の文章である。

 

一、喧嘩におよぶ輩、理非を論ぜず、両方共に死罪に行ふべきなり。

 

喧嘩両成敗の誕生

 

 

 喧嘩両成敗の判決は「死罪」。ちょっとしたことではケンカできないですね。争いを躊躇させるための厳しい決まりなのかも?ただ逆に、怒り心頭、死なばもろともと自暴自棄な人が相手だと怖い。開き直りなって、相手と道ずれにと覚悟されたら、巻き添えをくらった方はたまりませんね。

 

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いつ頃からかというと「これ以前、国人一揆の法や寺院内部の法にも両成敗の規定は見ることができ」とありますね。この「今川かな目録」がその後、武田晴信(信玄)の分国法「甲州法度之次第」に受け継がれ、戦国時代、江戸時代と普及していったとのこと。ちなみに、喧嘩両成敗の成文法は海外にはあまり例がないそうで、世界的には珍しい法律らしいですね。

 

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

清水克行