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「仏にあったら仏を殺せ」 / 禅への鍵

 

禅宗の教え「仏にあったら仏を殺せ」がとても印象的です。

 

 

臨済禅師はかつてこう言いました。


「仏にあったら仏を殺せ。祖師にあったら祖師を殺せ(逢仏殺仏。逢祖殺祖)」(『臨済録』)。仏や祖師方に深く帰依している人がこの言葉を聞いたら、さぞかし困惑することでしょう。


(中略)


すぐれた弟子なら、この言葉に助けられて、あらゆる権威から自分を解き放ち、究極の真理をみずからのうちに実現することでしょう。

 

 禅への鍵 〈新装版〉

 

 

「殺す」といっても物理的に殺傷するという意味合いではなくて、盲目的に崇拝(妄信)している状態を戒めた言葉のようですね。親の言うことが絶対。先生の説明が絶対。師匠の考えが絶対。仏の教えが絶対。誰かの意見に依存していることを教えてくれる。

 

 

禅への鍵 〈新装版〉

ティク・ナット・ハン,藤田一照


妄信がよくないのは、自分の判断、本音、気持ちが排除されてしまうこと。最初は、自分の中では「おかしいな」「しっくりこないな」と思ったとしても、「先生が言うことなのだから」と盲目的に「そうなのだ」と疑問に思わなくなる。

 

自分の価値観を書き換えてしまうこと。「絶対的正しさ」を求め、依存し、自分で考えることを放棄してしまうこと。別名保存ではなくて、上書き保存してしまうこと。

 
「仏に会ったら仏を殺せ」というのは、依存心に気づき、自立を意識すること。自分で考え、自分で選ぶことを述べた言葉なのだと勉強になりました。悟りを開くために、教えに忠実であろうとするな。仏に会っても自分を殺すな。

 

嫌なら嫌でいい。自分の感覚、感性も大切にしてね。そういうことなのだと感じました。