武術もいろんな流派をたくさん習って、さまざまな技を習ったけど、全部必要なもんじゃない。
要は、相手より一歩速く殴るだけ。パッと出すだけ。一番最短距離で、一番簡単な技。考えてみたら、一番初めに習う基本の突きなの。
だから、闘うということ、何かを学ぶというのは、ある段階まではいろんなものを身につけて、自分に合ったものを探すことだ。
でも、その段階を超えたら、今度は不必要なものを捨てていって、絶対なる一を見つけるのが目的だ。
様々な武術を学ばれた松田隆智さんの言葉。「要は、相手より一歩速く殴るだけ」というくだりがとても印象的でした。
武術や武道の稽古は、自分(心や体)に合った技術と出会うためのもの、いざというときに信頼できる「絶対なる一」を見つけるためのもの。
頼れるものがみつかったら、あとは捨てていくのがいい。そして、その「一つ」というのは、最初に習う基本の突きにあった…とても興味深い内容です。
以前、武術の先生から「習った技をそのまま技として使おうとすると、とても間抜けなことになる」といった話を聞いたことがあります。
相手の攻撃を避けて、相手の腕を取って、手首を捻って…と、投げ技(小手返し)の段取り通りにやっていては遅い。
相手は待たずに、次の行動に移っている。こちらの都合いい様に技は進まないのだから、練習しているときのように投げようとすると痛い目をみるというお話でした。
投げ技なんか意識せずに、パンチ一つで相手を倒すくらいの気持ちでいないと実戦で武術は使えない。
合気道の開祖・植芝盛平さんも「当身が七割」という言葉を残されているそうですが、投げ技を掛ける前提としての当身(打撃技)を重要視されていたようですね。
作者:成瀬雅春 (著)